しつけ つらつら昔のこと

2018/03/13
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 タバコをやめたのは29歳のときである。

それまでは、ヘビーであった。
一日に2箱はかるくあけていた。

 まだ、マイルドセブンなどが
世に出ていない時代である。

 修士論文を書くときなどは、
4箱はなくなっていたとおもう。

 先輩の先生から「ケツからヤニがでるぞ」とか、
品のないことも言われていた始末である。

 当時は、まだ職場では喫煙は「あり」のころで、
職員室の各机に灰皿があった。

 仲の良かったマツモト(仮名)は、
よくわたしのタバコをもらいにきた。

「一本、くれ」

 さいしょは、そんな一言もあったが、
しだいに、何にも言わずに手を伸ばして、
勝手にわたしのタバコを吸いだしていてた。

 だいたい、一日、10本はわたしのタバコを
吸っていた。

 よく考えたら、「ばか」みたいである。

 なんで、マツモトにタバコをくれてやらねばならないのか。
で、ついにわたしは、マツモト用に
新しいタバコを買ってやって
「これを2日で吸えよ。いつもおれのを
もらってばかりなんだから」と言うと、
すこし怪訝そうな顔つきでかれは、
「ひとのタバコをもらうのがうまいんだよな」
と、言ってのけた。


 箸の持ち方がわるかった。

 アオキ(仮名)という高校の同級生に
「おまえ、箸の持ち方汚ねぇな」と高校時代に言われた。


 アオキとは大学時代のひと夏、いっしょに千葉鴨川で、
免許を取るために、農家の離れを借りて、
そこで、ふたりだけの免許合宿をしたくらいの
気の置けない友である。

 が、高校時代のその一言がわたしには
ショックでそれから、箸の持ち方を気にしだした。
ぜったい、やつには言われたくなかったからだ。

 たしかに仲のいいやつで、
いまでも付き合いはあるのだけれど、
わたしがかれの気になる所とは、
ご飯の食べ方だったのだ。

 どんなおかずもかならず、
ご飯の上にのせてから食べるのである。

 ハンバーグでも、からあげでも、
豚のしょうが焼きでも、みな、
いちどご飯のうえにのせる。

 どんぶり飯じゃないんだから、
なにか上質さにかける気がしたのだ。


 いま、お茶碗さえろくに持てない子が増えた。
片手を大きく拡げてお茶碗を包むようにして食べる。

うーん、下品だ。

 文化資本ができていないのである。
文化資本というのは、わりに新しい術語だとおもうが、
むかしは、これを「しつけ」とか「お行儀」と呼んだ。

 お茶碗が持てない子は、箸などろくに
もてるわけがない。

 親が教えていないのだろう。

 わたしは、母親が仕事に出ていた関係で、
祖父母に育てられたところが大きい。

 それを娘たちに話すと、
「ああ、だから、こんな性格になったんだ」と、
やけに納得する顔をするのだが、
「こんな性格」ってなんのことなのか、
本人にはよくわかっていない。

 つまり、わたしの五歳くらいのときの
「しつけ」はほとんどゼロなのだ。

 だから、高校時代になって、ようやく
箸がちゃんと持てるようになるのである。

 すべて、自助努力である。


 しかし、「ああ、だから、そういう性格になったんだ」と
言った娘や、息子には、ご飯の食べ方とか蜜柑の剥き方とか、
手厳しく教えたのである。

 鮨の食べ方もレクチャーした。
世間に出てはずかしくないようにである。

 いま、ふたりの娘はふたりとも嫁いでいるが、
向こうのご両親に、ちゃんとしつけができている子だと、
おもわれていることを、願うものである。

 長女が、中野の寿司屋に行ったとき、
「お嬢さん、わかっているね」と板さんに言われたと聞いて、
わたしは、すこぶるうれしくなったものだ。

 わたしの教えがちゃんと生きていた。

わたしが、アオキから受けた屈辱的なことを
わたしの子どもたちには、味わわせたくなかった。


 が、ぎゃくに長女は、他人と食事にいくと、
かえってみんなの食べ方が気になってしかたないと、
言っていた。教えの逆効果である。

 
そういえば、アオキの口癖。

「わりにうめぇな」

 これである。

どんなもの食べても「わりに」がつく。

 アオキの食べ物への価値観は、ほとんどが
「まずいもの」から発しているのかもしれない。
それは、かれの文化資本の端末因子なのだろう。


 このあいだ、それを直接アオキ本人に言ってやったことがある。

と、かれは、笑って「そうかぁ」とか言っていたが、
このことを本人に言ったのは、
わたしがそれに気づいてから
約45年が経ってのことである。

 これを「歴史」という。

 マツモトとは、しばらく会っていない。
かれにも、いろんな歴史があって、いま、
昔の友だちはすべて謝絶しているようだ。

 大矢君が亡くなったことを手紙に書いたけれども、
返事も返ってこない。
 ある大手予備校でいまも働いているようで、
顔写真だけは、パンフレットに載っているので、
生きていることはまちがいない。

 が、いまもタバコを吸っているのか、
それは知りえないままである。

 わたしがタバコをやめたのは、
じつは、アオキがやめたのがひとつの理由である。

おれ、タバコやめたんだ。

 そのアオキの言葉に誘発されたかのように、
付和雷同なわたしはそれに付き合った。
一日2箱のやつなのに。

 もうひとつの理由は、やはりマツモトにある。
2日に一箱買ってやるのもばからしいし、
ここは、おれがタバコをやめれば、
この苦痛から逃れられではないか、そうおもうのは自然だろう。

 そんな、簡単ではあるが、苦渋の決断をしたのである。

 そして、わたしは、なんなくタバコをやめることができた。

 それは、開放感をもたらす幸福であった。
前にどこかに書いたが、タバコとは吸うものではなく、
タバコに吸われているものだったことが
よくわかったのだ。

 タバコというものに、束縛されていたといってもよい。

 その束縛感からの釈放は、
フランス革命の人民のような「自由」をわたしにもたらした。

 もうでかけるときに、胸ポケットをまさぐって、
タバコやライターの在処をさがさなくていいい。


 で、わたしは、すぐに職員室でマツモトに言ってやったのだ。

「タバコ、やめたよ。お前がおれのタバコをぶんどるからな」
と。

と、言下にかれは、すまなそうな顔ひとつもせずに
わたしに向かってこう言ったのだ。


「感謝しろよ」