唯幻論にまなぶ

2018/03/15
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 説得力にもっとも有効なのは

「譲歩逆説」である。

 

「うん、きみの言うことはよくわかる。

でもね・・」である。

 

 評論文でも、会議でも、この

論法がもっとも相手をうなずかせるのに

効果的であることは周知である。

 

 これが家族だとうまくゆかない。

とくに夫婦の喧嘩はパラレルである。

 

「おい、部屋片付けろよ」

 

「なによ。だからあんたには友達がいないのよ」

 

「はぁ!」

 

 まったく噛み合わない。

こういう平行線公準な物言いは、

このあと甲論オツバクの論争ではなく、哀しい武力抗争となる。

若いころなら

マトリックスの現場が再演されていたことだろう。

 

 わが国は、じつはこの論法が苦手である。

 

おそらく、譲歩逆説構文は、

近代国家の成立や、デモクラシーの場において

もっとも有意味だったろうが、こと日本は、

民間レベルでデモクラシーが発達した

歴史はなく、政府がオプションで民主制を

先導してきたから、この論法が根っこから

植えつけられなかったのだろう。

 

 その政府さえも、この論法が

骨肉化されていなかったものとみえる。

 

 

 岸田秀の「唯幻論」はいまもなお妥当性があると

おもわれるが、「わたしたちの日常でおこっていることは、

ほとんどそのままのカタチで国家レベルでおこっている」と

そう氏は語る。

 

「唯幻論」のもっとも肝要なところは、

ペリー来航いらい、明治政府のとった政策というのが、

アメリカには「いい顔」をし、しかし

うまし国ぞ秋津島、わが国の精神は崩さない、

というスタンスであった。

 岸田は、この「いい顔」のことを「外的自己」、

そしてほんとうの精神、

この国が一番だという「内的自己」とに分節した。

これがいわゆる、本音と建て前である。

 この「内的自己」は妄想的な美化意識であって、

聖化した日本人がたちあがる。

 こういう精神分裂的な様相をふるまうことによって、

わが国は、植民地化回避の成功体験をえることになる、

と、氏は語る。

 

 つまり、狂ったようなふりをして、

その場をしのいだのである。

 

 この他国との付き合い方は、じつは昨今の日本の事情と

寸分たがわない。

 

 ただ、昨今は他国というより、その他者が

「国連」になったということである。

 

 リットン調査団という、国際連盟によって

満州事変や満州国の調査を命ぜられたイギリスの

リットン伯爵一行のことを言うが、

その報告の要諦は「日本軍の活動は自衛でもなく、

満州国の独立もあやしい」というものであった。

 

 それにたいして、そんなことを

容易に理解しているわが国であるが、

そこは、分裂を病むというソリューションを

大いに発揮して「そんなことはなかっぺよ」と

反論するのである。

 

で、日本が撤退せよという意見は、賛成42票、

反対1票であり、その反対は、もちろん日本であるのだが、

そのときの松岡洋右は、机を蹴飛ばし退席、

国連脱退という歴史になる。

 

 日本は、こういうしかたで世界とつきあうのである。

 

そして、いつも日本は「バカな国だ」と、世界に見せつつ、

そうやって、開かれた国であると同時に、

精神的には、いつでも鎖国的な事況を

意識的につくりあげながらあゆんできているわけである。

 

 だから、1994年のラディカ・クマラスワミ女史の

国連特別報告の、従軍慰安婦にかんする条項には、

「そんなことなかっぺよ」と、あたふたするふりをし、

また、デイビット・ケイ氏の特別報告にしても、

「報道の自由、表現の自由、差別法」に関する提言には、

あんなものは、個人の見解であり、

国連の総意ではない、と論破する

菅官房長官のお見事な対応ぶりなど、

すべて、わかっちゃいるけど、ちゃんと対応しないという

ソリューションをとるのである。

 

 国連の特別報告者は、

国連人権理事会、47か国から投票、推薦され、

任期に3年くらい与えられた、

公的な発言のできる、国連の認定を

得られた人びとである。

この報告者の提言は、47か国の理事会の承認を得て、

国連の決定稿となる。

 で、こんな簡単な図式について、

菅さんが知らないわけがなく、

だいいち、国連人権理事国にわが国も加わっているのだから、

個人としてものを言うだけだ、など平気の平左で言うことが

どんなに通りが悪いかを承知しているはずである。

 

 その、ほとんど分裂病のような対応を世界に見せることによって、

外部干渉の緩衝をはかってみせるところに、

菅さんの勇気と手腕を見て取ることができるのだ。

 

 気が触れているというふり、ブリテンドで

難局を乗り切るこのやり方こそ、日本の政治のひとつなのである。

 

 だから、いまの改ざん問題も、「はぁ、あれ~」なんて

言いながら、きっと、なあなあで終わらせるつもりである。

 

「論語」の「泰伯」に、「由らしむべし、知らしむべからず」

というくだりがあるが、素人が政治に口だすな、

政治は専門家に任せよ、という意である。

 

 つまり、譲歩逆説もろくにできずに、

分裂を病むというソリューションでしか、

諸外国と向き合っていけない政治家の姿勢には、

われわれは、ふーんと指をくわえてみていればよろしい。

 

 外国からどんなにバカにされてもいいのだ。

なぜなら、日本は島国で、いざとなれば、

諸外国と付き合わなければいいのだから。

 しかし、アメリカとだけは、最後まで

追随するというカッコつきではあるけれども。

 

 そういうやり方で、明治いらいの近代化を

進めてきた日本であるが、

それによって消極的ではあるが得られたものがあると

同時に、個人レベルでも、国家レベルでも、

「亀裂と傷痕」が内在化してしまったと語ったのは、

言うまでもなく、岸田秀であった。