お気軽にお電話でご連絡ください
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11:30~14:00/18:00~22:00(平日はランチのみ)
毎週二回、駅向こうの岸さん(仮名)に
スーパーまで車で連れて行ってもらっているが、
車のなかではよくかれの自慢話に花がさくけれど、
たまには、わたしがしゃべることもある。
「環七の上馬にサミットってスーパー知ってます?
新しいのさ」
「おぅ、知ってるよ、ずいぶん前からあるだろ」
「そう、でも改築してきれいになったのよ。
でね、そこの駐車場係りが、スーパーから帰る
お客を路上に出すために、一車線目にのこのこって出で来てさ、
赤い帽を振って、走行中の車を止めるのよ」
「うん」
「でもさ、それって道路交通法違反だよね。
だいいち、そういう権限が駐車場係りには
ないじゃない。警察の許可がなければ」
「そうだな」
「で、おれが環七を通っていたら、おれの車の
前に出てきて止まれ! 止まれ! ってやるのよ」
「ふーん」
「だから、おもいきりクラクション鳴らして、
パッシングして、あげく、窓開けて、
お前にそんな権限ないだろ! って怒鳴ってやったんだ」
と、岸さんは笑いながら
「車に乗るとにんげん性格かわるからな」
「いえいえ、わたしはおとなしい平和主義者ですよ。
車に乗っていてもね。ただ筋がと通らないときは、
そうやって怒るわけ。それでさ、
そのあと、警察に電話して、ちゃんと指導しろって
言ってやったさ、世田谷警察の交通課にね。
きっと、いまごろ指導に入っているとおもうけれども」
「おれはよ。そんなことより、歩道の自転車が
気になるよな。あれ、どうにかしてもらいたいもんだ」
たしかに、歩道を唯我独尊、歩行者など気にせずに、
すいすいと通り抜けてゆく自転車も多い。
道交法では、歩道にある自転車は、
歩行者よりも速度を落とさなくてはならない。
それが、社会的ルールというもので、
交通違反なのだから、取り締まることができるが、
歩行者より遅い自転車などみたことない。
もともと、歩行者より遅い自転車など
意味のない道具だろう。
とにかく、筋が通らない。
そういえば、むかし働いていた高等学校では、
毎年、「さきがけ」という雑誌を発行していたが、
そこの巻頭にいつも、当時の校長(兼理事長)の言葉が
巻頭言として載るのだが、
ある年は「最敬礼」とかいうタイトルで、
ガソリンスタンドの青年が、客を店から誘導するために、
路上に出て車を停止させ、その車にふかぶかと頭をさげる、
いわゆる最敬礼をする、それがすこぶる礼儀正しく気持ちいい、
というような文章を書いていたが、わたしは、あれを見て、
ほとほと呆れてしまったことをおもいだした。
その校長の教育観や正義感の皆無であることにだ。
つまり、ガソリンスタンドの従業員には、
天下の大道を通過する車を
恣意的に止める権限などもうとうないのである。
それはれっきとした道交法違反である。
校長は、その違反しているにんげんを
褒め称えているのだから、なにをかいわんやである。
かんたんにもうせば「ばか」である。
ようするに、わたしは、あの学校の、
低レベルで、人道的なおもいやりのなさや、
道徳観念の欠如を、そのとき、あらためて知ることに
なったのである。
走行中の車を止める勇気よりも、お客の車を待機させる
勇気をもつのが、話の本筋なのだ。
筋が通らない、という事情がもっとも
民間人のいらだちを増長させるものである。
このもんだいの奥には、手段と目的との相関関係が
内在する。
ディズニーランドに行くのが目的のひとは、
なら、ひとりでも行けるかといえば、なかなか行けない。
だいたいは、恋人か家族か友人たちである。
つまり、ディズニーランドに行くというのは、
手段であって、その空間で、
おんなじ時間を同行するひとと共有する、
というのが目的なのだろう。
ディズニーランドに行くのが目的のひととは、
いっしょに行く必要はない、ということだ。
目的と手段との関係性はファジィに
関連していて、つまりは時間的な系列のなかにあり、
それにひとは無自覚であるために、
その関係性があいまいになってゆく。
時間的観念が変わってしまうと目的と手段との
分節は容易に変貌するということだ。
ようするに、たとえば、知らないうちに
手段は目的になってしまうということである。
目的のためにはだめな手段をとるときもあるわけで、
その手段を消極的に肯定しているうち、
その手段がそのまま、目的となって残存されるという
社会現象をわれわれは数多く見てきている。
戦後、国力をあげるためには富国強兵、まずは経済だ、
そうかんがえたわが国は、どうも軍事はアメリカさんが
基地を提供すれば、それをやってくれそうだから、
そこはアメリカに任せて、
とにかく経済を発展させようとした。
いずれ、国力が整ったら自力ですべてを
まかなおうしていた。つまり民権になるはずなのだが、
アメリカに軍事的な依存をするということは、
主権委譲にほかならないからであるが、
いまだにアメリカ軍の基地が
残っているのが現状だ。
戦略的対米従属はいまもつづいているのである。
手段と目的のシフトはこういうふうに構造的に
再生産されている。
よい番組を作るために、まずは視聴率だと、
言っていたテレビ局員が、いまは視聴率アップが
目的化しているのも類比的である。
なぜ、沖縄基地が、人びとをいらいらさせるのか、
なぜ、テレビがつまらくなってきたのか、
すべて、目的と手段のシフトによることが起因している
のかもしれない。
スーパーの駐車場係も、国道の車を強制的に
制止させるのが目的ではないはずなのに、
それが、手段を越した目的化されたらたまったものではない。
「あ、でもさ。大泉学園の細い歩道でうしろから
自転車来たときね。そいつが、チリン・チリンって
ベル鳴らすんですよ」
と、わたしは岸さんにおもいだしたように
語りだした。歩行者をじゃまにするような
自転車の乗り方などあってはならない。
「そのとき、わたしは、うるさせぇっと怒鳴ってやったんだ。
したら、若い女だったけど、はぁっとか
そいつ怪訝そうに言いやがって通り過ぎてゆくものだから、
追いかけて蹴飛ばしてやろうとおもったのよ。
けど、真夏の暑い日だったから、やめたけどね」
それを、聞くでもなくうなずくでもなく、
岸さんは前を見ながら運転をつづけていた。
ほら、車に乗らないときでも
筋が通らなければ、怒るときは怒るわけで、
車に乗ったから人格が変わったわけではない
ことは自明なのである。