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11:30~14:00/18:00~22:00(平日はランチのみ)
今月からバイトに入ってくれた
ハルノさん(仮名)はほやほやの大学生であるが、
帰りがわたしの夕方からの仕事場の方面なので、
いっしょに行きましょうということで
手打ちとなる。
店のおわりからわたしの次の仕事まで、
おおよそ三時間の余裕があるので、
わたしは彼女に拙宅で休んでもらって、
それからいっしょに出かけることにした。
「へんなことしないでね」と
彼女に釘を刺されたのだが
さすがに、40年前のわたしなら、
ちょっと自信もないのだが、
すでに棺桶にはんぶんくらい漬かっている身、
まったくセーフティーである。
しかし、40年前のわたしは、
ものすごくチキンで、臆病で、潔癖症のような
性分だったから、むしろ40年前のほうが
もっと安全だったのかもしれない。
わたしの家では、一本、映画を観ようと
いうことになった。
映画といえば、藤田宜永の小説作品『転々』が
映画化されていて、わたしはあれを何度となく観た。
『転々』は、深刻な内容を抱えているのだが、
プロットはコメディ風の軽いタッチである。
金貸しの福原愛一郎(三浦友和)は妻殺しをして
警視庁に自首をしにいくのだが、
自首するまでの心の整理として東京をぐるりと歩く。
その東京散歩につき合わされたのが
大学8年生の竹村文哉(オダギリジョー)である。
なぜ奥さんを殺害したのか、という竹村の質問に、
「うちの女房は、若い男を夜な夜な漁っていたんだ。
ちょっと変身したかったらしい」
「奥さんの浮気の相手はわかっているんですか」
「いや、何人かいたらしいからな」
「そいつらのことを探したりしないんですか」
「いや、ひとりを除いてはどうでもいい」
「ひとり?」
「女房とホテルまで行ったのに寝なかったやつがいる。
そいつだけは忘れられないと女房は言っていた。
刑務所に入るまえにそいつだけは
半殺しにしたかったけれどな」
じつは、竹村は人妻と経験があった。
その人妻とホテルまで行ったのに、
その女性とはなにひとつ関係のないまま別れたのだ。
もし、その女性が福原の妻だったらと、
竹村は勘ぐる。
「もし、福原がそれを知ってじぶんを
東京散歩に誘ったのだったら、
最悪の偶然とむきあう必要があるわけだ」と。
「福原さん、奥さんの写真ってありますか」
「なんだい、いきなり」
「急に見たくなったんです」
福原は名刺入れから一枚の写真を竹村に渡す。
竹村ははんぶん手で隠しながら、そろそろと
その写真を見、そして安堵する。
別人だったのだ。
「あ、やった」
「なんだ、おまえ」
「きれいな人じゃないですか、ぼくタイプですよ。
うぉ~うぉ~うぉ~」
(なんだか開放されたおれは
いままでに出したことのない声を出していた)
確認するまでわからずに、しかし
確認せねばならないとき、そのささやかな
緊張感は生きた心地のするものではない。
きょう、ハルノさんと観るはずの映画は
「四十九日のレシピ」である。
ほのぼのした夫婦愛や義理の母親との
心温まる交流を描いた日本映画である。
日本人は、生者と死者と自然との三すくみで
生きていると言ったのは内田節だが、
「四十九日のレシピ」も、亡くなった義母との
交流がテーマであるから、まさしく
死者とのコミットが必要十分条件である。
花見も、死者の魂とともに祝うらしいので、
お墓でする花見がベストらしいが、
やはり、三すくみとしてはおんなじ図式である。
死者と自然と生者と。
さて、ハルノさんをソファに座らせ、
ひさしぶりにテレビにスイッチをいれる。
おそらく、二年ぶりくらいのスイッチである。
わたしはテレビを見ないので、
37インチのテレビは元から電源を切っている。
とうぜんDVDも二年ぶりくらいである。
さあ、「四十九日のレシピ」を差し込もうとしたら、
あれ、どうもDVDの中になにか入っているみたいだ。
「開く」というスイッチを押す。
と、DVD本体はなにかうなるような音がするだけで、
本体の中からDVDが出てこない。
なんどもチャレンジする。
が、故障したR2D2のように、
うなるような音がエンエンするだけで
DVDは出てこない。
わたしは、ひどく焦った。
この機械のなかに閉じ込められている映画は
はたしてなんなのか。もう何年も前のものだから、
なにも覚えていない。
すでに彼岸に移行しはじめているわたしであるが、
男性なら、まずいちどは通り過ぎるだろう、
すこしピンクっぽいDVDの経験だってないことはない。
しかし、もうハルノさんはスタンバっている。
困る。
出てこないDVDだが、どうも再生はできそうだ。
37インチもすでにスタンバっている。
あとはわたしが「再生」を押すのみだ。
もちろん「四十九日のレシピ」はお預けである。
わたしは、覚悟を決めた。
それは、竹村がおそるおそる
福原の妻の写真をのぞきこむように、
わたしは、おそるおそる、清水の舞台から
舞い降りるがごとく「再生」ボタンを押す。
えい、ままよ。
これで、出てきた映像が、
「〇〇ちゃんの放課後日記」とか、
「〇姫 〇〇連発」みたいなのだったら、
わたしの人格は一気に否定され、
おそらく、もうその威厳と信頼は失墜、、
いまのアベ首相のように奈落の底に
落ちていくことだろう。
DVDが回り出した。キュルキュルという
本体のなかで動いている軽い音がする。
ちくしょう抜き取れないというのに。
そして画面いっぱいにタイトルが映し出される。
「おくりびと」
だった。
よかった。
わたしは、このとき、心のなかで、
いままでに出したことのない声を出していた。