ダムの決壊のように

2018/05/24
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 ダムの決壊もほんのちいさな瑕からおこるものである。

世の中もしかり。

「小さな兆候」、これを逃すと

のちのち想像もしなかった悲劇にまきこまれることになる。

 

 わたしの勤めていた高校は、

ワンマン経営の全体主義そのまんまを

ミニチュアにしたような職場であった。

 

 だれひとり経営者に

たてつくものはいなかった。

その経営者にしがみつくことが、

その学校の出世につながる。

 

 能力的なもんだいや、器の大きさや、

普遍主義や人道主義、平等友愛を掲げても

なんにもならない。

 

 経営者の孫といっしょに酒を飲み、

「ぼくたちお友だち」なんて肩を組んでいた

ミイダ(仮名)という卑怯極まりない教員が、

教務部長の座についたりした。

 

 ようするに、カイライ政権というものを

わたしは二十四年間、目撃してきたのである。

 

 その中で、わたしは、ゆいいつ

じぶんなりの筋をとおし

正しいものは正しいと言い、

権力に屈服することはなかった

(と、おもっている。だから解雇されるはめになるのだが)。

 

 そりゃそうだろう。いまの理事長など、

学校にはいっている食道の経営者にゴルフ接待させ、

手ぶらでくるものだから、食道のオーナーは

まずゴルフセットを購入し、二泊三日のゴルフ接待。

そしてゴルフが終わるや、理事長は

そのゴルフセットを二木ゴルフに売りさばく、

なんてことが日常茶飯事。

じぶんだけは、車通勤をしておきながら、

職員には車での通勤を禁止した。

そんなやつに従えるかよって、わたしは

おもっていたのだ。

ましてや、そんなやつに「僕たちお友だち」なんて

言えるわけないだろう。ばかめ。

 

それは、ちょうどさながら、いまの安倍さんに逆らう、

石破茂や村上誠一郎のようなものだった。

 ま、そんなにエラくないけれども。

 

 それゆえ、わたしはその職場でお約束通り出世しなかった。

わたしより若い教員が主任に昇格したり、

副部長になったりした。

 

 犬のように従順なクボクラ(仮名)という恰幅のいい、

国語科の教員が教務主任になった時代があった。

わたしよりも二十くらい年上である。

 

 けして頭のいいひとではない。

なにしろ、「らむ」という助動詞の「視界外推量」

という意味をしらずに、生徒の答案をバツにした。

 

 わたしが、授業であたりまえに教えていることである。

その生徒が知識不足のクボクラに、なぜバツなのかを

問うたところ、デブバカの出した答えはこうだ。

「わたしはその言い方を知りません」

 

 ご自身の知らない文法用語は存在しない、

という自明の空気をふりかざしているのである。

もちろん、かれの頭の中だけでの自明の空気であり、

簡単なテクニカルタームをしらないこういうひとを

わたしたちは「バカ」と呼んでいいのである。

 

 ちなみに「視界外推量」というのは、主体の

眼前にない光景を推量するもので、

「いまごろ・・しているだろう」という意味をもつ。

で、クボクラさんの模範解答は「推量」であった。

 

 わたしは、そのエピソードを、その生徒から聞いて、

頭を抱えたものだ。「だめだ、この学校は」ともおもった。

 

 そのクボクラさんが教務部長になって

さいしょの仕事は、教職員の時間内外出についての

書類を作成したことである。

 

 わたしがこの学校に奉職したときは、

わりにゆるい職務規定で、空き時間に校外に出て、

買い物したり、お茶を飲んだり、そんなことは

日常茶飯事であった。が、かれが教務部長につくや、

「外出届」なる書類をつくり、それに時間と場所を

書き込めという条例をつくった。

 

 たしかに、それは間違いではないし、統制のとれた

職場では当たり前かもしれないが、

わたしはすこぶる「嫌な予感」がしたのだ。

 

 クボクラさんの言い放つことは

「職員室にいないと、その先生に電話などあると、対応できません。

『外出届』というものは、

所在がわかるだけで、それ以上のものではない。

これは、わたしが申し上げているのではありません。

立場がそう言わせているので、ご理解ください」

と、いうようなことだった。

 

 職場から離れるのは職場放棄でもあるが、

わりに教員の職場というのは、そういうルーズな

どんよりとした沼地のような空間なのだ。

 

 が、そこに規律を持ち出し、

統制を整え、あげくに主語に「わたし」ではなく、

「立場」を立て、まるで全体主義の兆候のような

権威的な姿が見え隠れしたのである。

 「立場が言わせている」

こういうふうに、主語を「わたし」ではなく他にすり替えるのは、

ポピュリズムの常套なのだが、クボクラさんの言説は

大衆を扇動するわけではなかったけれど。

 

 ただ、わたしの嫌な予感というのは、

この外出届なるものが機能すれば、

おのずと数年後には、トップダウンの命令系統が

確立するのではないか、と咄嗟に感じていたからなのだ。

 

 わたしは、たしかそこで、

「その紙はそれ以上の目的では使わないのでしょうね」

というようなことを、職員会議だか、本人に直接だか、

そこは失念したが、念を押したはずである。

 

 

 そうしたら、かれは「それ以上のものではありません」と

きっぱりと答えた。

 

 外出届けの目的は「職員の居場所の特定のため」という

ことで納得した。

 

 

 ホロコースト博物館に、アーリー・ワーニング・サインがあって、

14カ条の、ナチ現象につながる兆候が箇条書きで示されている。

社会学者のローレンス・W・ブリットの起草である。

 

 これを見ると、いまの安倍政権の中身と

類比することが多すぎるのが

恐ろしいのであるが、「→」は、安倍政権との比較である。

具体的には示せば、

 

【Early Warning Signs of Fascism】ファシズムの初期症候

 

●強力且つ継続的なナショナリズム 

     →「日本スゴイ」教の流布等

●人権の軽視         

     → 共謀罪、マイナンバー

●団結の目的のために敵国を設定 

     → 中国、北朝鮮を異常に敵視

●軍事の優先     

     → 安保改定、駆けつけ警護の付与、武器輸出原則放棄

●性差別の横行   

     → 女性の軽視

●マスメディアのコントロール  

     → これは当たり前。前川さんの件、NHKなどは黙殺した。

●国家の治安に対する異常な執着 

     → 特定秘密保護法、共謀罪、緊急事態法

●宗教と政治の癒着 

     →たとえば創価学会など。

●企業の保護  

     → 法人税減税、タックスヘイブン放置、円安政策等による大企業ファースト

       いま、まさに成立する働き方改革法案

●労働者の抑圧    

     → 残業代ゼロ法案など。

●学問と芸術の軽視   

     → 憲法(法学)の軽視、経済学無視、クールジャパンの押し付け

      違憲状態の議員たち。

●犯罪の厳罰化への執着  

     → 共謀罪、NSC、FEMA、国民監視システム

●身びいきの横行と汚職 

     → 森友、加計学園事件

●不正選挙     

   →たとえば「ムサシ」など。

 

などなどである。

 

わたしどもが、由らしむべし知らしむべからず、

政治にふかく関わってはどうかとおもうが、

しかし、アーリー・ワーニング・サイン(ファシズムの初期症候)が

絵に描いたほど、いまの政権と類比していることに

驚きを隠せないのである。

 

 ナチ現象の起きる少し前、ドイツの街に「ドイツのパン屋さん」

という看板があったそうである。人びとは、その含意に

「ユダヤ人ではないパン屋さん」という意味を

読み取れなかったらしいが、これこそ、アーリー・ワーニング・サイン

であり、その初期症候からあの悲劇ははじまっていたのである。

 

 ようするに、わたしは、あの「外出届」に

アーリー・ワーニング・サインを見てしまったのだ。

 

手段は時系列で目的にかわる、というのは、

社会の通念である。

 

「脱亜論」は福沢諭吉のみじかい論文だが、

けっきょく、近代化を遂げた日本が、

まずアジアを先導して、アジアの国々を近代化させるという筋書きだったが、

アジアの国々を支配するようなしかたで国は動いてしまった。

 

 原内閣は、戦後復興のため一時的にアメリカの軍事力を借り、

その間に、経済発展をさせようと企んだが、

その一時的がいまもエンエン沖縄基地問題としてつづいている。

 

 

かりの手段が目的化してしまう図式はどこの国でも、

どこの会社でも現場で実地に繰り広げられているのである。

 

 

 じっさい、「外出届」は翌年、部長の決裁を必要とし、

許可するかしないかを裁量されることになり、

その数年後、教員の外出は禁止になってしまった。

 

ダムのほんのちいさな瑕「小さな兆候」が、

手段を目的化に転じさせ、

ついには独裁色のつよくなることを

退職されているクボクラさんは

はたして気づいていたのだろうか。

 

 

いや、バカだから無理だったろう。

それよりひょっとすると、

今はすでに他界しているかもしれない