「顔赤いよ」考

2018/06/16
ロゴ

 しばらく酒を慎んで、はたまた飲み始めれば、
すぐさま顔は赤くなる。日本人の体質はアルコールとは
あまり連関よろしくなく、少量の飲酒ですぐ酔うことができる。

 肉食の自民族主義の欧米人はアルコールには強いらしく、
だから、麻薬に走るという。

 その点、わが国は麻薬を使用しなくとも、
じゅうぶん事足りるというわけだ。

 ひと月くらい酒を絶っていたが、また飲み始める。
わたしの飲み方は、ウィスキーを麦茶のように飲む。

氷も水もいらない。

 グラスでも湯呑み茶碗でも、
なければ、ごはん茶碗でもかまわない。

 そこにウイスキーの瓶を傾け、
ちびちびやる。

 よく言えば「手間いらず」である。

 が、やはり、久しぶりに飲むので
たぶん、顔が赤くなっていたのだろう。

 バイトの子に「顔、赤いよ」って言われた。

 わたしは、わたしの店でギターを弾きながら、
お客さんと唄ったり、騒いだりしていたときである。


「顔、赤いよ」

 そう、言われて、わたしはいつも返事につまる。

 なにをあいさつすればいいかわからないのだ。


 たしかに、顔が赤かったのだろう。
状況説明としては正しいのだ。

 だが、そう言われて、「ごめん」と言うのもへんだ。
「すみませんね」なんていうのも毒づくみたいだし。
そこには、おそらく、そう言ったその子よりも
わたしは、萎縮した存在になっているのだろう。
目線の上下があるのかもしれない。
もちろん、その子に悪気があるわけではない。



「髪の毛に糸くずついているよ」と、
言われれば、ありがとうと言って鏡を見ればいい。

「歯に青のりついているよ」って
言われれば、あ、どうもって口をゆすげばよい。

だが「顔が赤いよ」って言われて、
「ありがとう」って言いながら、
顔を青くすることはどうやってもできない。

つまり、わたしは「ああ、そうですか」と
心のなかで返答するくらいしかできないのだ。
だって、どうすることもできないじゃないか。
ひょっとすると、
「ですから、どうすればいいんですか」
なんて、そうおもっていることが表情にでているかもしれない。



 いままで、なんどとなく、飲酒の途中に
「顔、赤いよ」と言われ続けてきた。


 大学時代の友人、ヨシカワ君にも学生時代よく言われた。

「お前、猿のケツくらい赤いぞ」


 これは、愚弄にちかいだろう。ヨシカワとはそういうヤツだった。


 ただ、バイトの子は、心根のきれいな子だから、
わたしを愚弄することはないはずだ。

 それでは、
「顔、赤いよ」の含意はなにか。

「情けない」「みっともない」「だらしない」「酒弱いんですね」

うーん、さっとかんがえただけでもネガティブなものしか
羅列できないぞ。親切心はおそらくないだろう。


たとえば、「君、腋臭くさいよ」っていう友人は、
それはとても勇気のいることだとおもう。

あるいは「口、くさいから」なんていうのもおんなじ。

よほど、気が置けない間柄でないと、そんなこと、
とうてい言えたものではない。

これこそ究極の親切なのかもしれない。

しかし「顔、赤いよ」はそれよりもっと楽ちんに言える一言である。



 野家啓一というひとがいうには
「他人の体験表現の意味を理解するとは、
その表現によって相手が行っている言語行為、
すなわち、<実践的要求>に即応した<実践的態度>を
具体的状況の中で私がとりうることにほからない」と
述べている。(『対話的相互性の地平』より)

 つまり、他人の体験表現「顔、赤いよ」の意味を理解するとは、
<実践的態度>を・・・わたしがとりうる、ということなのに、
わたしは、「顔、赤よ」にたいして、<実践的態度>がとれずに
いるのである。

さらに野家はつづけて「体験表現の分節化に伴なって、
聞き手の実践的体勢も多様な分節化を遂げていくことであろう」と
語る。(「同書」)


 だから、体験の分節化というのは「あんた、顔が赤いよ」であり、
それによる、聞き手、つまり、わたしは、多様な分節化を遂げるはずなのだが、
その分節化によっておこる、わたしの反応は「だからななに?」なのだ。


 これは、野家の言うところの対話的相互性が
とれていないということの一例をしめしていることになる気がする。


 むしろ、「顔、赤いよ」と言われ、
その表現にわたしが、返答不能におちいったとすれば、
これこそ、わたしは「呪い」にかかったことにちがいない。

 「呪い」の状況は、返答不能な現場におこるのだ。

「お前、この学校をどうおもってるんだ」と
生徒を罵倒する教師は、生徒に呪いをかけている。

 だって、そんなこと答えられないじゃないか。

「ね、わたしのことどうおもってるの?」
これなんかも類比的である。


「顔、赤いよ」と言われたわたしは、
なにもできず、なにも答えられず、ただどこかそっぽを
向くくらいしかできないのだが、
その呪縛の渦の中からは抜け出ることも
できないのである。


 しかし、そのときは、相当酔っぱらっているので、
そんなことまったくかんがもせず、
また、ちびちびウイスキーを飲むのである。