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花はなぜきれいに咲くのか。野に咲く雑草でさえ、はたまた東洋ランやオールドローズなど、いわずもがなのうつくしさをかもすその理由は、とうぜんながら、自己生存のメソッドに起因する。みずからの能動性が希薄なぶん、外部からのプログラミングを要請、つまり昆虫などによる外からの刺戟をうけるべく、外界のロケーションからひときわ目立つような華麗な姿を誇示し、めしべとおしべをふれ合わせようとしているのである。
それは、換言すれば、植物のネオテニィな領域を補完する行為といってよい。
それにたいして、ひとは、けっして植物にたいして能動的にふるまうことはないけれども、しかし、そのうつくしさにこころを寄せ、時を奪われることはままあることである。
それはこころの問題である。
ひとのこころとは何か、こころが可能にしているものは何か、何を道具にしているのか、という事情を考察することを心脳問題、あるいはクオリア問題というが、とくに、ジェームス・ギブソンはそれを「アフォーダンス」と名指した。かれの造語である。「アフォーダンス」は、クオリア問題の機能説にカテゴリーされる分野だが、つまりは、咲く花とわたしには、そこに釘付けにさせるアフォーダンスが存在する、と、そういう言い方をする。
ところで、わたしがここで問題にしたいのは、「わたし」という語彙、あるいはその含意、記号学でいうところのコノタシオンについてである。
つまり、管見であるが、花、ひいては自然への畏敬や憧憬、と「わたし」とのかかわり方が古代人と現代人とではすっかりと変貌しているのではないか、ということである。
その理由は、「わたし」という一人称において、そこに「わたしとはなんであるか」といったアイデンティティを含んだ言い方は、明治期になってからであり、江戸時代までは、自我という発想は皆無であったからだ。「じぶんらしく」という考量がまったく存在せず、すべては時代の要請によって、武士は武士として、農民は農民として生きている、という暮らしであった。
「ぼくは、じぶんらしく武士を捨てて農民になるぜ」なんて考える侍はひとりとていなかったということである。
それだからこそ、それより以前のひとたちに「じぶんらしく」もなく、「じぶん」という絶対的自我もなく、「ただある」という在り方で自然のなかに佇ち、自然と同価値のごとく暮らしていたのである。それが、たとえば『万葉集』だった。
籠もよ み籠持ち 堀串(ふくし)もよ
み堀串(ふくし)持ち この丘に 菜摘ます児
家聞かな 名告のらさね
そらみつ 大和の国は おしなべて
われこそ居れ しきなべて われこそ座せ
われこそは 告(の)らめ 家をも名をも
『万葉集』の巻頭をかざる雄略天皇、御製歌である。
「われこそ居れ われこそ座せ」と雄大に天皇であることを若菜摘みにきた女性たちに語りかけるという丈高き作である。
が、この上代における「われ」にも、近代的な自我構造があるとは学問上なりたたず、これも時代における要請事項として存在する「われ」であり、「妻問い婚」のひとつの儀式歌とみるべきである。国の王たる存在として、その要請にしたがい若菜摘みをする乙女に語りかけるという、王の存在意義を象徴する古代和歌として読める。
大伴家持が、この歌を巻頭に置き、巻末にみずからの和歌、
新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重げ吉事
という歌を据え、天皇礼賛の意をあからさまに表し、そこに『万葉集』という歌集全体の性格が象徴されている。
石ばしる垂水のうえのさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
志貴皇子の歌では、ここに皇子の自我があるとは読まない。「春」になり、みずからも「春」のなかに同調して、そこに「ただある」という感覚が上代の歌に底流しているのではいかと、わたしはおもう。
熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
額田王のこの歌は、白村江の戦いにでかけるものたちへのエールであるという説が有力であるが、はるか大陸に向かい海を渡ってゆく兵士たちのこころをさぞや鼓舞したことだろう。
わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影さへ見えて世に忘られず
このような防人の歌でも、大宰府に借り出されるひとに歌の教養があったものがどれほどいたのか、おそらくはだれかの代作であり、この歌によって勇気づけられ、遠き北九州の地に出向いたひとが多々いたことだろう。
つまり、古代歌謡の急所は、他者をふくんでみずからを代表するというしかたで詠まれていたという側面があったということである。そこにはむしろ作者不在の重要性があったはずだ。
・多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき
このような詠み人知らずもまたしかり、「だれの歌」というのではなく、「だれもの歌」という性格が古代和歌にみられるわけだ。読み人知らずの歌には、もちろん朝敵にならざるを得なかったひとや、名前をあかせない諸事情があった可能性も否めないが。
こういう古代和歌における性格を担保させている要因のひとつに「農耕性」をあげることができよう。もともと文末決定性のわが日本語というラングはこの「農耕性」に起因しているわけで「言わなくてもわかる」という、共通理解がそれを基礎づけている。集団で田植えをしている右となりも、左となりも、すべて他者であると同時に「われ」であるのだ。農耕民族の宿命は、たったひとりの「われ」ではなく、みなのなかの「われ」であり、ひとり抜きん出て稲を植えても、遅れて植えてもならない。ここにも他者をふくんだ「われ」の姿が見出せる。そんな世の中に、みずからを主張し、イエス・ノーを文頭に置く必要はもうとうない。この「言わずもがな」のラングが、防人歌を含む詠み人知らずの歌を存在させていたのだろう。
「農耕性」がつくりあげてきた共有感覚は、とうぜん自然との関係においても他者としての自然というより、自然という他者を含んだじぶんが存在したはずである。
炊くほどは風がもてくる落ち葉かな
良寛和尚のこの句の「もてくる」など見れば、ここに感謝の意はうすい。むしろ、自然に同化した良寛さんの存在が立ち上がるのである。自然と一体化したならば、感謝の必要はない。ちなみに、この句を信濃の山奥にいた一茶が「炊くほどは風がくれたる落ち葉かな」に改作してしまったというエピソードがあるが、一茶の人間性は、自然と対峙しており「くれたる」と、自然への感謝、対等の存在として読み取れる。が、悟りを得たような良寛さんは、自然のなかに浸透し、風がなんなく「もてくる」のである。この自然との付き合い方が、わが国の歌人のなかに類比的にあり、そうやって、香具山を見たり「さわらび」を見たり、富士の高嶺を見たりしたのだろう。
ようするに、みずからを立ち上げながらも、それは自然と一体化しており、ひいては、となりのひともそのとなりのひとも、じぶんと同価値の存在だと意識していたのではないだろうか。ここに、絶対的一人称の脆弱性が露見することになる。
このような古代歌謡の性格は、明治期にいっきに変貌をとげる。それは西洋文明の輸入によるところがおおきい。和魂洋才といいながらも、「和魂」はそれなりに変形せざるを得なくなるわけだ。
とくに、「自我」、いわゆるアイデンティティの発想は、日本人を根底からゆるがせた。いまでは「個人情報」とか、「セクハラ」とか薄気味悪い言葉が横行しているが、これも言うなれば「自我構造」のデフォルマシォンである。
「わたしらしく」「わたしはわたし」
こんなフレーズがよく聞かれるようになる。そもそも、日本人には「わたし」という発想が希薄なため、けっきょく他から観たじぶんという構造で自我構造が作動する。ある小学校の教師が、教室では、じぶんを「先生」と呼び、職員室にもどれば「わたし」という。妻の前では「おれ」となり、子どもの前では「お父さんはね」となる。すべて他者から観たじぶんという、相対的自我がそのひとの人となりを形成している。
が、絶対的であれ、相対的であれ、自我構造にはかわりない。近代になって導入されたこういった西洋的な考量が、短歌の世界の「わたし」に「わたし」を意味づけたのである。このあたらしく参加してきた「わたし」は、他者と対峙する「わたし」であり、認知を認知する「メタ認知」として機能する。
自然とむきあい、じぶんがそこに佇ち、じぶんを語る。他者とむきあい、そこに佇ち、じぶんを語る。実相観入という斉藤茂吉の術語は、おそらく、前時代的な「わたし」であり、この近代的自我をもつ「わたし」ではなかったのではないとおもう。
アララギ派の作品が、さいきん鼻につくのは、自我構造を前景化させながら自然を詠うところにあるのではないかと、わたしはおもっている。自然を含んでみずからを代表するという指向性があるのなら、つまり本来的な実相観入的な作品なら、アララギ系の歌もすとんと腑に落ちるのではないか。
よく、いま「非人称」という語彙が短歌界に出回っている。
わたしは、この言葉をよく知らない。さいかち真さんから『日本語指示体系の歴史』(李長波 著)という本を借りたが、どうもそこには正解はなかったようだ。
もし、「非人称」という術語が、古代和歌の、他者をふくみながら自己を語るという意味合いと関連性があるのなら、「非人称」的な作を実践するよう心掛けてもいいのではないか、とおもう。
じっさい、いまの世の中の個人の感情の劣化は目に余るもので、しかし、フランク・フルターのオーソドックスな理論にしたがえば、ある感情の劣化は、あるリソースの配置によって必然的に起こりうるのだから、これを食い止めることは至難である。
ようするに、現代において、感情の劣化にともなった「わたし」を、どんなに描いても、けっきょくそれは劣悪な精神の吐露におわるかもれしない。そんな現代的な「わたし」の発語は、アノミー化された言語にしかならないのではないか、という危険性を否定できないのではないだろうか。
このような現実においては、わたしたちは、古代歌謡に培ってきた精神を再生産させ、古代の「わたし」を取り戻す決意と努力を要するのではないのではないだろうか。
きれいに咲く花、その花に寄り添って、プリミティブな感覚をよびさまし、ひとつずつ言葉を紡ぐしか、わたしたちに残された道はないのかもしれない。