箱根にて

2018/10/08
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いまだに忘れられない光景がある。

 父も母も健在で、三人家族だったわたしどもは、
箱根に旅行にでかけていた。

 まだ、わたしが幼稚園のころだったとおもう。

わたしの父は、カメラが好きで、ペンタックスを愛用し、
当時では、めずらしい8ミリも購入していた。

 8ミリとは、いまじゃあたりまえになっているデジタルビデオの
前身で、8ミリビデオとか、カラーテレビとか、
車とか、そんなものを持っている家庭は稀有であった。

 たしか、ようやく我が家に冷蔵庫がやってきたころだったとおもう。

 たぶん、8ミリは、ずいぶんしたはずだ。
父は、それを自慢げにわたしたちに見せびらかした。

 いまからおもえば、8ミリ撮影のために
箱根に出かけたのかもしれない。

 当時は、我が家には車はなく、父も免許がなく、
バスで箱根山を登っていった。

 富岳百景、たぶん富士も大きくそびえていたのだろうが、
そんなことは、幼少のわたしは覚えてない。

 よく覚えているのは、バスが満員で、
わたしどもは座ることなく山道に揺れていたことだけである。

 どこで降りたかはわからない。
トンネルの少し手前の停留所である。

 わたしどもは、そこで降りて、おそらく宿に向かったのだろう。

と、そのときだ。

父が「あ」と、驚きの声をあげた。

 「8ミリ、忘れた」

 バスの荷台に、あのステータスなシロモノを
おいてきてしまったのである。

 父はよくそういうことをした。

 母は、あきれた顔をしたとおもうが、それも覚えていない。
覚えているのは、三人で、がむしゃらに走って、先ゆくバスを
追いかけたことである。

 走る。走る。

 トンネルのはるか向こうにバスのランプが見える。

「待って~」

 母の金切り声。

わたしは、なぜじぶんが走っているのか、
とにかく喫緊の事態がいま起こっていることはわかるが、
なぜ、バスを人力で追いかけなければならないのか、
よくわかっていなかったとおもう。

 とにかく、父と母のうしろを追いかけたのだ。

その間、ずっと母は、金切り声をあげていた。



 バスはつぎの停留所でわれわれを待っていてくれていた。
だから、難を逃れることができたが、
これも、すべて父の失策である。

 あのトンネル内の激走はいまも脳裏のどこかにある。


 さいきん、鏡を見たり、じぶんの写真を見たりすると、
父に似てきたことに気づく。それは、わたしにとって、
なぜゆえか、いい気持ちのするものではない。


 しかし、加齢するごと、こうやって父に近づいているということは、
まぎれもない事実なのだろう。

 やはり、わたしは、
いまでも父を追いかけているのかもしれない。