CCではない

2018/10/18
ロゴ

CC化ということばがある。

クレージークレーマー化である。

文句ばかりいうやつのことだ。
モンスターペアレンツもここにカテゴライズされる。
クレーマーよりもなお始末にわるい輩を
そう呼ぶのである。

わたしも、どちらかというと、
文句のおおいほうらしいが、
じぶんでは、そういう認識はない。

それは、文句ではなく、
ただしいとおもったことを口にするだけである。

ただしいとおもうことを口にするのと、
CC化とは、かなり相違するとおもうのだが、
いっぱんにはそのへんの差異がファジィらしい。

むかし、二番目の娘と
紳士服の青山に買い物にいったことがあった。

いわゆるリクルートスーツを購入するためだ。

試着してみるとスラックスがぱんぱんで
座るとはちきれそうである。

と、すこし年のいった女店員が
「あら、よくお似合いだわ」という。

気の強くない娘は、なんにも言わずに
だまって鏡をみている。

そこで、憤慨、いや、おもいあまったというほうが
ただしいだろう、
わたしは、娘の母もいるその場で声を荒げた。

「あなたね。正直になりなさいよ。
わたしたちは、ここの店を信用して来ているんですよ。
うそはつかないでさ。
ほんとうに、よくお似合いだとおもってるわけ」
と。

 このあと、ちゃんとサイズにあったものを
買ってわたしどもは店をあとにしたのだが、
娘やその母からひどくしかられるのかとおもったら、
ぎゃくに、娘には、「あのとき、言ってもらってよかったよ」と
感謝された。

 ほら、このどこがクレーマーなんだ。

 指輪を買いにいったときもそうである。

これ見せてください、と頼んだ商品よりも、
店員が五千円ずつ高いものをずらずらと並べだすのである。

 ショーウインドウの上には、
わたしが見せてくださいといったものを
先頭にして、それより兵隊さんの位の上のものが、
ずらりと整列し始めたのだ。

そうしたら、これ見せてください、
というシロモノがひどく貧弱にみえるではないか。

これが商法というものだろう。

だが、わたしはそこできっぱりと言ったのだ。

「あなた、どんどん高いものならべてるじゃないの、
そうしたら、どんどんこっちのほうがよく見えるわけでしょ。
この指輪よりも安いものも並べてください。
魂胆まるみえでしょ」と。

と、やはり店員はすこし困った顔をみせていた。

 横浜にあるインターコンチネンタルホテルの
最上階に、カリュウという高級中華料理がある。

 広東料理だ。

 そこで、教え子がはたらいていたということもあり、
しょっちゅう出向いていた。

 いちど、中国服のチャンパオなのだろうか、
そんなものを来た女店員が料理をだしに来たのだが、
すぐに、教え子のササキを呼んで、
「おい、いまの彼女、二度とこのテーブルに
食事運ばないでくれよ」

「せんせい、どうかされましたか」

「うん、香水がきつくて料理がまずくなる」

「あ、すみません。よかったです、
おっしゃっていただいて。じゅうぶん気をつけますので」

 これはクレームではない。
彼女のためにもという、心優しい教えである。

 カリュウでは、国産の唐辛子は味がきついから、
国産の唐辛子を使った料理は出さないこと。
 フカひれの姿煮とつゆそばとだしがおなじなので、
それは、べつのだしにしてくれと頼んだこと。
そのくらいを申し上げた。

 「せんせい、こちらにも事情がありますので、
フカひれとらーめんのスープを別にはできません」と、
ササキは言っていた。

 天麩羅の「天一」という高級料理屋で、
ビールをたのんだら、お通しに、しいたけの石づきを縦に
細かく切って三日間醤油で煮込んだものがでてきた。

 昆布の佃煮のような食感でうまかった。

が、カウンター越しに「スプーン印の砂糖で煮ると、
すこし味が重くなりますね」と言ったら、
カウンターの中でふたりの板前が顔を見合わせている。

「どうされました」とわたしが訊くと、
「よくおわかりで」とひとりの板前が答えた。

 これは、じつを言うと、ただ当て感で
言っただけなのである。

 なんにもわかっちゃいないのだ。

 都ホテルトウキョウは、いま名前が変わってしまったが、
高輪にある高級ホテルである。

 そこの一階にあるカフェで珈琲とケーキを食べていたのだが、
店員をわたしは呼んだ。

「なんでしょうか」

「あのね、この水、水コケのにおいがするから、
気をつけたほうがいいよ」

「いえ、お客様、当店は浄水した水を使用していますから、
そのようなことはございません」

「そんなことは、わかってるよ。
その銀色のピッチャーが洗われていないんだよ。
そこからにおっているわけ。ためしに飲んでみればいい」

 そのあと、店員はどうしたのか、
わたしはすぐに店を出たのでわからないが、
わたしの舌はまちがっていないはずである。

これもクレームではなく意見か、あるいは
報告、あるいは示唆である。

 小田原の食堂で、上の海鮮丼を頼んだとき、
そのイクラを一粒、お茶のなかにいれたら、
イクラの周りが白濁しない、なんだ贋物じゃないかと
わたしはほぼあきらめていたのだが、
お茶を差し替えにきた店主が、わたしの茶碗をみて、
「あ」と叫んだ。

 バレたとおもったのか、その後、わたしどもの
テーブルだけサービスで珈琲が出たのだが、
それは、クレームでもなく、
示唆でもなく、サジェッションでもなく、
ただ、確かめただけである。

 このあいだ、予備校の講師会があった。
店を休んでとぼとぼ出かけたのである。

 と、今回は、かなりシビアな話となった。
体験生がどれだけ、その授業を受講するか、
割合を出しているということだ。

 つまり、十人体験して五人が受講をきめれば
おのず五十パーセントとなるのだろう。

 「この中のせんせいには、八割を越す方もいらっしゃるし、
また、二割を切る方もいらっしゃいます。もちろん、
科目の性質にもよりますが、これから、
グループワークしてもらって、
どうすれば、体験生を獲得できるか、まとめてみてください」

という、部長の掛け声と共に、わたしどもは、
三人一組のグループにさせられ、
文化祭の出し物どうしますか、みたいな雰囲気に
させられたのである。

 わたしは、今年は、どんどん生徒さんが増えているので、
そんなに成績はわるくないかとはおもうのだが、
どうして、生徒さんが増えるか、などと
かんがえたことは皆無なのだ。

 わたしどもが、四つの机をならべて話し合おうとしたとき、
部長がやってきて、ここは「せんせい、中心に話し合ってください」と
わたしを指呼して言った。
「え、わたしですか」

「はい、せんせいは八割以上の獲得をされていますから」

「へー、そうなんですか」

「はい、七十五人が体験して八割以上です」

 わたしは、七十五人の体験生を相手にしたという
実感がなかったので、じぶんで吃驚してしまった。

さて、わたし中心といってもなにをどういえばいいか。

「そうですね、教室っていうのは空気つくりですね。
生徒とともに、その教室の空気をいっしょに作っていくってのが、
まず肝心でしょうか」と、いつもおもっていることを申し上げたら、
隣の若い先生が、そーですね、という表情をされている。

 「せんせいのご専門は」

 「国語です」

「あ、じゃ、わたしとおなじだ。
やはり、山本七平ですね。」

「はい、だれですか」

「空気の研究の山本七平ですよ。都知事も
これは空気がしたことです、なんていってたじゃないですか」

「知りません」

「え。国語のせんせいでしょ、すこし調べたほうがいいよ」
と、わたしは、先輩面をしながら、そう言ったら、
かれは、ノートに「山本七平」と書いていた。さながら生徒のように。

 会議は、そのあと、上智大学の入試問題などについて、
べつの部長が説明しはじめた。

 「今年の上智大学は、ジョン・ロールズが出題されました。
このような知識をたいせつかとおもいます」

 「ジョン・ロールズだって、正義論の。知ってる」
と、わたしはとなりの青年教師に訊いた。

「いえ、しりません」

「あのさ、リベラル・コミュニタリアン論争ですよ。
1993年の。覚えておきなよ」
と、わたしが言ったのだが、
かれは、ロールズもリベラル・コミュニタリアン論争も
メモしなかった。

 これもクレームではない。教えである。

 牛丼屋に行って対面の若者が、箸をもてない、
どんぶりもちゃんと持てない、なんてみると、
いらいらする。

 おまえ、そうじゃないんだよ、など
言ってやりたくなるが、そこはがまんである。

しかし、こういうわたしのことを
一部では「めんどくさいやつ」と言っていることも、
じゅうじゅう承知しているのだが。