感情の劣化

2018/11/06
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モラルハザードという言葉が、

そろそろ死語になってきたような気がする。

 

 道徳の低下である。

 

モラルハザードは、もともと不動産関係の語彙であったのが、

一般化したものである。

 

 それよりも、いまでは、デュルケームの「アノミー」が、

人口にカイシャしているかもしれない。

 

 

 ついこのあいだ、北海道でのこと。

 

顔に障害をもつ16歳の子をこっそり写メして、

それをツィッターにあげた17歳の女子高生がいた。

 

「笑いとまんない 死ぬ」とあったそうだ。

 

この悲劇は、16歳の子の母がそれを見つけ、

警察に被害届けを出し発覚、侮辱罪で起訴された。

 

 

 これは、アノミー状態を通り越して、

感情の劣化とでもいってよい事況である。

 

 

 しかし、「笑いとまんない、死ぬ」とつぶやいた、

その向こう側に

「やめなさいよ、あんた」というセリフがなかったことが、

もっとおそろしいことなのだ。

 

 

 SNSという媒体は、どれをとっても「顔」がない。

 そういう、まだ法整備が整っていないところの、

「顔のない集まり」 で、このような感情劣化がおこっている、

という荒涼とした現況がある。

 

 で、もし「顔のない集まり」にひとりでも正義感から、

「よしたまえ」という正しいひとことを発しようものなら、

いっしゅんにして、ノケモノにされてしまうのだろう。

 

 正義は異分子として処理されてしまうのだ。

 

だから、それについては見て見ぬふり、知らんぷりをする。

こういう事況を、認知的斉合性とよぶ。

 じぶんだけが、村八分になることを無意識におそれるのである。

宮台信二氏なら、それを「妄想のホメオスタシス」とよぶのだろう。

 

 

 じっさい、SNSという媒体における法インフラもさることながら、

その現象すら、いたちごっこで後追いしているにすぎないのである。

事後的に問題を解決するようなしかたでしか、

社会や政治は動かないのである。

 

 

 ジョン・ロールズ(1921-2002)は、

正義論で有名な哲学者だが、

 

君がわたしでもそれに耐えうるか、君がわたしでも同じ行動をとったか、

それを考えろ、と主張する。これを「無知のベール」と呼ぶのだが、

立場の入れ替えの可能性が公平・正義をうむという。

 

 

 相手の立場になれ、なんてだれでも、

「さわやか三組」で教わることなのだろうが、

そんな、あたりまえのことができなくなっている。

 

 

 おなじく、リチャードローティー(1931-2007)というひとも、

感情劣化に対しては、憤ることが肝要だと述べている。

 

 もうすでに、この世の中に「知性」の教育を施すことが

大事ではなくなっている。

それよりも「感情の教育」、

センチメンタル・エデュケーションこそが、生存条件であると

主張する。

 

 

 つまり、いけないことには、

ひとは声を大にして怒っていいのである。

 

怒れ!  やろうども。

 

 

 「笑いが止まらない、死ぬ? なんだと、じゃあ・・・・」

 

このあとのセリフを言うと、わたしの感情劣化がバレてしまう。