2019/06/07
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 センター試験が今年度で終了する。

また、あらたな方式が受験生に課せられるわけである。

国語では、筆記の試験がくわわる。

 

 120字程度の筆記であるが、

55万人が受験すると言われている共通試験をだれが、

平等に採点するのか。

はなはだ疑問である。

 

 文部科学省では、天下りがむつかしくなっている昨今、

それと比例するようにこの制度の導入がきまった。

 

 ゲスの勘繰りではないが、

再就職監視委員会のきびしい監査が

このシステム導入のきっかけになったんじゃないかと、

その相関関係をおもってしまうのである。

 

 

 さて、センター試験の設問というものは、

ひどく素直である。素直というのは、

この問題は、この部分を訊いていますよと

いうメッセージが容易に読み解けるようになっているからである。

しかし、そのメッセージはかそけき声であり、

その声は、静観、直観、分析力をもってはじめて

深淵なるところから響いてくるのであり、

つまり、受験生は、その声を聴きとるには

いささか難解だろうから、予備校の講師がいる

という事情である。

 

 

 究極的にいえば、わたしどもの商売とは、

その声に従い、その声どおりを受験生に

伝えてゆくことなのである。

そこが予備校講師のレゾンデートルなのだ。

 

 

 

 たとえば、センター試験の国語、第三問。

これは「小説」の領域である。

 

 

野呂邦暢の『白桃』が出題された。

 

傍線部C「まあ何だな、出された桃は食べなかったしさ」とあるが、ここからうかがえる兄の心情はどういうものか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

 

 

これは主人公の弟の、兄の台詞なのだが、「出された桃は食べなかったし」はだれに向かっての発言か、ということがこの問題の要諦となる。つまり、この台詞は、そこに弟がいたにもかかわらず、自分自身を納得させるための一語だったのだ。ようするに、心的な方向性というものが出題の底にある。わたしは、これを心的なベクトルと呼んでいるが、心的ベクトルがじぶんに向けられている設問を探す。

 

① 米の売買で面目をつぶされたので、桃に手を出さなかったことを持ち出して兄としての立場を回復しようとしている。

② お金を得ることができず途方に暮れ、桃を食べなかったという判断の正しさをせめて弟に確認しようとしている。

③ 屈辱感にうちひしがれながらも、桃に手を出さず、毅然とした態度をとれたと思うことで自分を支えようとしている。

④ 取引に失敗した今、こんなことなら桃を食べればよかったと後悔しているが、弟の手前、負け惜しみを言っている。

⑤ 取引に不利になると思って桃に手を出さなかったのだが、今はそれが酒場の主人への当てつけになったと考えている。

 

 

 ①も②も④も、すべて弟にベクトルが向いている。だから誤り。⑤は「酒場の主人」に向かっているのでこれもまずい。

正解は③.「自分を支えようとしている」というみずからの

発言によって、みずからへの正当性を担保しようとした兄のけなげな一言と捉えるのがよい。

 

 

 センター試験は、大問6つのなかでこういった心的ベクトルを問うものを用意する。

 

 

 

 

遠藤周作の『肉親再開』からの出題。

  傍線部B「(要するに……こんなものだったんだな)」とあるが、ここから「私」の妹に対するどのような心情が読みとれるか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。

 

① 手紙の内容から妹が満ち足りた暮らしをしていると想像していたわけではないが、実態を目の当たりにして、夢の実現を目指して貧しい生活をしている彼女を痛ましく思っている。

② 妹が家族にまで虚勢を張っていたと知って不愉快になる一方で、貧しい生活ぶりが現れている部屋を実際に見て、自分が断念した生き方を実践している彼女をねたましくも思っている。

③ 手紙の内容から妹の生活に関して安心感を抱いていたのだが、実際に貧しい生活をしている彼女の様子を見て、兄の自分だけにはもっと素直に頼ってほしかったと、残念に思っている。

④ 妹の芸術家を気取った部屋と不潔な環境を見て予想したとおりだと思ったが、貧しい生活をすることが芸術家の条件であると彼女が考えていることがわかり、情けなく思っている。

⑤ 妹が貧しい生活に耐え暮らしている中で日本や家族に対して強い愛着を抱いていることに改めて気づき、彼女はこんなにも日本に帰りたがっていたのかと、かわいそうに思っている。

 

 

 「要するに こんなもの」というときの主人公はどこを見ているか。心的ベクトルである。このときは、屋根裏部屋に住む妹の一室に視線が注がれており、けっして「自分」にベクトルは戻ってきていない。つまり③の「兄の自分だけにはもっと素直に頼ってほしかった」というくだりは、ベクトルの向きがちがっている。けっして「自分」には戻ってきていないのだ。

だから、妹の部屋だけに注がれている設問を探せば、①の「実態を目の当たりにして、夢の実現を目指して貧しい生活をしている彼女を痛ましく思っている」という設問にたどりつく。「目の当たり」という方向性がただしいのだ。

 

 

 

また、小説では、「私」を主として描く、いわゆる一元描写の作品と、舞台の芝居のような多元描写とにわかれるが、とくに一元描写の作品は、主人公の心的変化を描くのに特化しており、ぎゃくに、他者の心理描写にはおよばない、書けないという特徴がある。

 

 

 

それを設問にするとこうなる。

太宰治の『故郷』から。

 

問6 本文の内容と表現の特徴の説明として適当なものを、次の①~⑥のうちから選べ。

 

で、正解をみれば、

 

 

② 複雑な人間関係の中でうまくふるまえない主人公の弱く繊細な心の動きが、一人称を基本としながら自分を冷静に見つめる視点を交えた語り口で、たくみに描き出されている。

 

 

センター試験は、小説においては、一元描写の作品からは、「繊細な心の動き」と「自分を見つめる視点」を読み解けよ、というメッセージを発していることにきづくのである。

 

 

 

また、象徴性(シンボル)という点にも注意したい。

 

小説には、かならず、なにかを象徴する「もの」が描かれる。それは「ツィードのコート」かもしれないし、「金木犀」かもしれない。

 しかし、ここで肝要なことは、象徴するものは、一作品にひとつ、

ということである。津島裕子の『水辺』では、屋上に溜まってしまった水が、夫婦の亀裂、母子家庭になってゆく不安を象徴していたが、誤答としてセンターはつぎのような設問を用意する。

 

 

問6 この文章における「水」についての説明として適当でないものを、次の①~⑦のうちから二つ選べ。ただし、解答の順序は問わない。

 

⑦ 罅にしみ込む水の存在は、藤野夫婦のあいだに心の亀裂が生じていたことを比喩的に表現している。

 

 

この⑦のくだりは「罅」に夫婦の亀裂というメタファ、比喩性を見出したという、まさに誤答なのである。もし「罅」にまで、そのような象徴性を帯びさせてしまうと、テーマがあいまいになって小説全体を緩慢なものとさせてしまうだろう。

 

 

 かんたんにセンター試験の小説の問いをもうしあげだのだが、

この話を河合塾のキムテツに話したら、「へぇ」とか言っていて、

それきりその話はおわったとおもったら、かれは、これを

こんどの参考書に書くというのだ。

 

 「パクリました」

 

かれは、平然と言った。

 

 

 しかし、たとえわたしが考えたことでも、

先に本になってしまったら、「その人の手柄」となる。

 

 

 だから、わたしは、あえてブログにこの事情を

つづっているのである。かれが参考書にする前に。

 

 

 しかし、こういった「向こうからの声」を

かれは、いままで聴きとらなかったのだろうか、

という疑問がのこるのだけれども。

 

 

 ま、それは、それとして、梅原猛というひとが

『日常の思想』という書物でこう語っている。

 

 

 「世界の一端をつかんだら、あくまで、そこから

奥へ奥へと世界を追究していくべきだと思います。

そうすると、自然に一つの世界が開けてきます。つまり、

一方の眼によって見られた世界は、自然に体系性をもって

いますが、そういう体系性をもった世界が、向こうから

徐々にあらわになってゆく感じ、そういう感じが、

創造というものの感じではないかと思います」

 

 

 これは「創造」の話なのだが、けっきょく

向こうから、かそけき声を聴き分けるという

方法論は、センター試験の読解となんら変わりは

ないとおもうのだ。

 

 

 キムテツ先生が、どこまで参考書にしたためるのかは

しらないけれど、わたしなら、こういう事情を本にするだろう。

 

 

 対象からの声、たいせつなことだろう。

 

 

「やなか」という珈琲専門店がある。

わたしは、そこの「本日の珈琲」が好きでよく頼む。

 毎日、ちがった地の珈琲があじわえる。

きょうは、ガテマラ、きょうはブラジル、コスタリカ、

世界地図も壁にかかっているので、わたしは、

本日の珈琲を味わいながら、この珈琲は

いったいどこの国なのか、地図をみながら、

心は世界を浮遊する。

 

 これもひとつの「旅」であるし、

ひとつの「会話」になっているのだ。

 

 

 だから、わたしは店主にそうもうしあげた。

 

「珈琲って会話だよね」

 

と、やなか店主はこう答えた。

 

「スワヒリ語ですか?