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11:30~14:00/18:00~22:00(平日はランチのみ)
ディズニーランドに行くときは
われわれは無防備である。
無防備とは、なんの予習も
予備知識もいらないということである。
ただ、入園すればいい。たしかに大枚をはたくが、
ただそれだけだ。あとは、なんにもせず、
与えられたものを享受すればいい。
だから、老若男女、だれしもが楽しめる。無防備じゃないか。
楽しみ方には二通りあって、
みずからの快楽をもとめ、みずからのうちから
苦労しながらでもひねり出してくる楽しみと、
じぶんは、ただぼんやりしていて、
向こうから上げ膳据え膳、すべてを
与えてくれる楽しみとである。
この中道をゆくのが映画ではないか。
たしかに、スクリーンから膨大な情報を
一方的に与えられるのだが、半面、
そこに、観客として、はたとかんがえる余地が
残されている。観おわったあとも、
うーん、あの問題はいったいどうしたものやら、
と、じぶんの立ち位置に照らし合わせて
考えたりする。
ディズニーランドは、こちらから
なにひとつすることはない。
ただ、アトラクションに入場する時間に耐えることと、
パレードの席取りをする苦労と、
食事場所の確保くらいのものである。
つまり100パーセント依存型娯楽施設
ということになる。
100パーセント依存型の特徴は、
享受者の想像力はいっさい稼働していないところにある。
その対象物の裏側にあるもの、含意、いわゆるコノタシオンを
汲み取る必要がまったくないということである。
想像力ゼロ。
それって、つまり「ばか」が行くところ
ということになる。あるいは、
無意識に「ばか」を振舞って行くところである。
ひとは、知らないふりをするのが
得意だから、
相撲を八百長だなんていうひとはいなかった。
(ひとり、それを裏切ったばかなジャーナリストがいたが)
プロレスを、筋書きのあるドラマだとは
だれもおもわない。いや、おもわないようにしている。
ミッキーマウスのなかの人は浦安に住んでいる、
なんてぜったいにおもわない。
みんな、知らないふりを意識、無意識にかかわらず
しているのである。
だから、ディズニーで楽しむことを、
じぶんが「ばか」になっているとはおもわない。
知っていても、じぶんで知らないふりをする。
これを認知的斉合性とよぶ。
ようするに、ディズニーランドという空間は、
「ばか」を醸造する装置であるということだ。
なにが、夢の国なのか。たった数分の乗り物のために、
80分も待つことが夢なのか。帰りの買い物のごった返し、
あんなイモ洗いが夢なのか。
園を出てぐったり闘いに負けたように電車に乗る。
あれが夢なのだろうか。
閑話休題。
さいきんの若者は趣味がない。
趣味はなに? と訊くと、
「えーっと、漫画、かな」
とか「ゲーム」とか答える。
じつは、それは趣味ではない。
わたしは、釣りをする。
ひとには、職業は「漁師です」と言っているのだが、まちがいなく趣味である。
この釣りというものは、男性の専売特許である。
なぜなら、狩猟本能の延長だからである。
女性は家にいて子を育てる。つまり母性本能が
偶有している。だから、リカちゃん人形や
バービーちゃんでままごとをするのである。
なぜ、釣りをしたり、ままごとをしたりするのか。
それは、生得的にもっている、じぶんの本能と
出会うためなのだ。生まれながらにもっている
そういった遺伝子をさがすために、あるいは、
その遺伝子からの要請をうけて
その遊びをするのである。
つまり、じぶんの深奥にあるDNAと出会うために、
趣味を楽しむといってもいい。
だから、趣味とは、じぶん探しの旅なのだ。
それが、快楽というものである。
ぶらぶら買い物をする。東急ハンズなど
好きな人は、じぶんの知らなかった、
じぶんの欲するものに出会うために行く、
というひとも少なからずいるだろう。
ようするに、ひとは、
じぶんの知らない、太古からの起源をもつような、
じぶんの中に棲みついているものを探すことを
幸福とおもっているのだ。じぶんの存在を、
レゾンデートル、確かめていると言ってもいい。
いまの若者は、その趣味が欠落している。
なぜか。
すべては、インターネットや携帯、スマートフォンが
すべてを処理してくれるからである。
じぶんで苦労してじぶんを探そうなど、
おもいもしない。
インターネットは民主制を滅ぼすと、
警鐘を鳴らすのは、キャス・サンスティーンだが、
わたしは、インターネットやスマートフォンは、
みずからの生命までも滅ぼすのではないかと、
おもっている。
ほんとうの幸せが、じぶんの身体にある宇宙への旅であるなら、
その旅を放棄する若者が、
思考停止を経て、幸福感を味わえなくなってゆく、
それは「死」と類比的じゃないか。
だから、ネット世代の人びとは、
恋人、ステディがいなくともさびしくない。
だって、スマホがあるから。
こういう時代なんだな。
インターネットはひとを滅ぼす。
仕事で新浦安に行っている。
帰りには舞浜をとおる。
京葉線舞浜駅のホームでは、
ネズミの耳をつけたり、
グッフィーを提げてたりしながら、
ぞろぞろと大勢のひとが立ち並んでいる。
「ばか」の余韻というレッテルを貼って。